物理学を、ぶつぶつと

読んだ本の解釈や、日々感じた事をそれとなく

ランダウ=リフシッツ『力学』第一章

 気づいたこと等メモしていきます。

 

§3.ガリレイの相対性原理

慣性系とは

 「空間が一様かつ等方的であり、時間も一様であるというような基準系をつねに見いだすことができるということが分かる。このような系を慣性系という。」(本文引用)

 

 “空間が一様等方”とは、どの位置も特別な位置がなく、どの方向も特別な方向のないような空間。空間はどこかで終わることのなく無限に広がっていて、どこかに穴が開いていたり障壁など一切ない、真っ平らな感じの空間...なんとなく分かりそうでイメージのしにくい感じですが、こんなふうに考えてみます。

 

 自分が神の目線に立ったとして、まっさらな無限に広がる3次元の白いキャンパスに絵を描いていこう。このスタート地点が最もシンプルな系で、この白いキャンパスのような空間が慣性系というようなイメージを持ちました。

 これから先のお話は、この白いキャンパスにどんな絵を描いていきますか。というよな考えで捉えてみます。

 

 無限に広がる白いキャンパスに人を一人描きましょう。この観測者=基準系で、慣性系というキャンパスに描かれた人は慣性基準系という時間と空間のモノサシを持ちます。

 次に、質点を一つ描きましょう。この質点は動いていても止まっていても良いです。

 

 さて、今までは神の目線でのお話でしたが、ここで描いた人の目線に移りましょう。

 この人とって、自分が動いているか止まっているかなんて分からない。質点が本当に止まっているか動いているかは神のみぞ知り、判定ができない。分かるのはただ、お互いがどれだけの速さで動いているかという”自分と質点の相対速度の絶対値のみ”です。

 ということは、この人の記述するラグランジアンは相対速度の絶対値のみの関数となるわけです。

 

 神の目線に戻ると、慣性系に人(基準系)はいくらでもかけます。

 描かれた人にはそれぞれの質点の見え方があるでしょう。しかし、誰が記述しても、質点の運動を記述する方程式は同じ形になるはずです。

 

 このように、白いキャンパスに置かれたどの人間に対しても力学的法則は同一になるでしょう。という考えがガリレイの相対性原理とイメージできます。

 AさんとBさんが質点の位置を記すとき、AさんとBさんの記述が式(3.3)で結ばれています。これと式(3.4)をあわせて、ガリレイ変換と呼んでいます。

 当然、ガリレイ変換のもとで運動方程式の形は同じになるはずです。

 

 この原理を用いて、慣性系に置かれた人からみたラグランジアンを定式化していくのが§4のお話。